1964年の東京オリンピックで使用された旧国立競技場の聖火台が、本日10月3日、川口市に里帰りし川口駅東口公共広場(キュポ・ラ広場)に設置されました!(来年3月まで設置される予定)
1964年東京五輪では戦後復興の象徴として、2015年からは東日本大震災からの復興の象徴として、多くの人々に希望を与えてきた聖火台が61年ぶりに川口帰ってきました。聖火台はキュポ・ラ広場に展示され、10月6日(日)に記念式典を開催します。
広報かわぐちより
川口鋳物師が命をかけた聖火台
広報かわぐちより
1958年、東京へのオリンピック招致が懸かったアジア競技大会(第3回東京大会)の聖火台制作にあたって、鋳物のまちとして名を馳せていた川口市が重責を担うこととなりました。納期わずか3ヶ月という依頼に辞退者が相次ぐ中、生涯最後の仕事と鈴木萬之助氏が引き受けたのです。そして、三男の文吾氏とともに心血を注ぎ鋳型を完成させました。ところが、溶かした鉄を流し入れる湯入れの作業中に 鋳型が爆発。破損した部分から鉄が流れ出てしまいました。失敗のショックで 萬之助氏は倒れ、そのまま亡くなってしまったのです。しかし、父の意思を継いだ文吾氏が、兄弟や仲間の鋳物師の力を借りて、不眠不休で聖火台を完成。その6年後の東京五輪でも聖火をともしました。この聖火台は、旧国立競技場の解体に伴い、東日本大震災からの復興のシンボルとして被災地を巡っていましたが、誕生の地である川口市へ里帰りしました。